戦争中の方がよかったという言説に噛み付きまくる意味が分からない
菊池誠さんの方が不気味ですよ。なんでそんなに噛み付くのか?
瀬戸内寂聴は本当に、戦争中のほうがましだったなんてことを言ったのか! http://t.co/1dsKtD31 これはどうかしているとしか言いようがない。なぜ、そんなことを軽々しく口にできるのか、まったく理解できない。この通りだとするなら、この人は完全にダメな人だと思う
今の状況がどれほどひどいと感じているとしても、それを戦争よりひどいなんていう比較に持ち込む理由はどこにもない。そういう比較で自分の主張を強化できると思っているのなら、その人は明らかに戦争を自分の道具として利用しただけだ。それはあまりにもひどすぎないか?
何をそんなに息巻いてるのか私には理解できません。1958年生まれで戦争経験者でもないのに、戦争経験者の戦時中体験との比較について、こんなに「不謹慎だ!」的に騒ぐ心性はまさに理解不能です。比較対象を知りもしない人が批判するたぐいの話ではないし、「○○を自分の道具として利用しただけ」なるレトリックも、似非科学的な万能論法でしかないので空虚です。
そもそも、戦争中はよかったというような表現は、別に珍しい表現ではありません。一例として、瀬戸内寂静も強い影響を受けた坂口安吾の「堕落論」から引用してみましょう。
私は戦きながら、然し、惚れ惚れとその美しさに見とれていたのだ。私は考える必要がなかった。そこには美しいものがあるばかりで、人間がなかったからだ。実際、泥棒すらもいなかった。近頃の東京は暗いというが、戦争中は真の闇で、そのくせどんな深夜でもオイハギなどの心配はなく、暗闇の深夜を歩き、戸締なしで眠っていたのだ。戦争中の日本は嘘のような理想郷で、ただ虚しい美しさが咲きあふれていた。それは人間の真実の美しさではない。そしてもし我々が考えることを忘れるなら、これほど気楽なそして壮観な見世物はないだろう。たとえ爆弾の絶えざる恐怖があるにしても、考えることがない限り、人は常に気楽であり、ただ惚れ惚れと見とれておれば良かったのだ。私は一人の馬鹿であった。最も無邪気に戦争と遊び戯れていた。
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42620_21407.html
現在の目から見ると、「災害ユートピア」といったキーワードが思い浮かぶ描写です。
戦争という悲惨の中で、その現実の悲惨を目の前にして、多くの人々がリアリスティックに行動する様に人間の理想を見いだしたという話は別段物珍しい話ではないでしょう。もちろん、安吾はそこからもう一段階議論を進めるのですが。
瀬戸内寂静の発言は、私には特に違和感は感じませんでしたが。現在の逼塞した経済状況や、益体もない「行動力」のような妄念にすがる世情といった不穏な雰囲気と比較すれば、メモ前のリアルな悲惨を国民が共有できた戦中の方が希望があったと思ってしまうのは、菊池誠の意味不明な激高よりもよほど理解できます。
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